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ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


106.悪夢

2010.06.25  *Edit 


それはちょっとした思い付きだった。


駿はバイトの帰り道、自分の家とは逆方向に向かう電車に乗っていた。
いつもよりも早めにバイトに出たおかげで、今日は早く上がることができた。時間はまだ20時を少し過ぎたところ。このまま帰るのはもったいない気持ちになった。
それで、思いついたのだ。

電車を降り、何度も歩きなれた道を急ぐ。その足はバイトの後だというのに、驚くほど軽い。
「……さすがに清水、まだ起きてるよな」
腕時計を確認しながら、くすりと笑う。こんな時間には小学生だって寝ているはずはないか、と。突然の自分の来訪を、桃佳は喜ぶだろうか、驚くだろうか。そんなことを思うと、自然に笑みが浮かんでくる。その表情は、まるで悪戯を楽しんでいる子供のようだ。
実際、駿はこの自分の思いつきを楽しんでいた。連絡も入れずに突然押し掛けるのは、滅多にしたことはない。桃佳は間違いなくびっくりするに違いなかったが、たまにはこんな驚きもいいだろうと。なによりも、桃佳が自分の来訪を喜んでくれるに違いない、そう思っていた。
考えてみれば、ふたりの間にこうした驚きというのは最近なかったと駿は思う。特に駿がバイトを始めてしまってからは……ゆっくり会う時間も、ゆっくり話す時間も大幅に削られてしまった。
その上……
思いだして駿の心臓はチクリと痛む。
知る時間も取ろうとせずに、桃佳の事を何も知らないという思いに囚われ、黒い感情のままに桃佳を傷つけてしまったこと。傷つけてしまった桃佳に触れられない苦しさを、美鳥で埋めてしまったこと……
軽かった足取りが急に重くなり、駿は足を止める。

考えてみれば、いつも自分は桃佳から一歩引いていた。知ろうともせず、自分の気持ちをぶつけようともせず。しかも、付けてしまった傷からも目を逸らして……

自分は桃佳の彼氏としては落第点だと、駿は自嘲的に笑った。そして、気持ちを立て直す。これからだ……と。これから桃佳としっかりお互いの事を見つめあっていこうと。
自分の考えに頷き、駿は再び歩き出す。桃佳の住むアパートはもうすぐそこ。細い路地に入り、少し歩いたらそこが桃佳のアパート。
見えてきた建物に、駿は歩調を速める。二階のふたつ目の部屋の窓からは光が漏れていて、彼女がそこにいることをはっきりと示していた。駿は早くその部屋に辿りつきたい気持ちを抑えつつ、ジーンズのポケットから携帯を取り出す。
突然訪問しようと思ったものの、シャワーでも浴びていたら気付かないかもしれないから。




「……多希さん、暑いですよ……」
桃佳のどこか不満げな声に、多希はふふと笑って後ろからその体を抱きしめている腕に力を込めた。
食事も後片付けも一段落後、そうするのが当然というように、桃佳は多希に後ろからずっと抱きしめられていた。「暑い」と身を捩ったところで、多希がその腕をほどいてくれるはずもない。
でも……桃佳としても、暑いけれど嫌ではない。
ただ時々ふっと甘い吐息が吹きかけられたり、首筋に唇を押しつけられたりするたびに心臓が跳ね上がり、腰が砕けそうになり、それを堪えるのが一苦労だというくらいで。それを考えなければ、まどろむような心地よさに身を委ねることができた。
「……いつ電話が来るかわからないからさ、今のうちにこうしておきたいんだ」
そう言って多希は苦笑いする。テーブルの上には、緊急呼び出し用の携帯電話が置かれている。奇跡的に今夜は今まで病院からの電話はかかってきていないものの、いつ急患の呼び出しが来るかわかったものではない。そうなると、桃佳のもとにいつ帰ってこられるとも分からないのだ。
「だから暑くても我慢して」
まるで子供のようなものの言い方に、思わず桃佳はぷっと吹き出す。
「……我儘ですねえ」
「……我儘だよ。自分がこんなに我儘だって知らなかったけどね」
少しだけ振り返るようにして多希の顔を呆れたように見つめる桃佳に、多希は極上の笑みを見せる。確かにはっとするほど秀麗な笑顔だというのに、それはどこか子供っぽい。まるで母親に甘えている子供のようにも見えた。
「もうっ、私はお母さんじゃないですからね」
わざと口元をへの字に曲げて、少しだけ拗ねたような顔をする桃佳を多希は不思議そうに見た。
「お母さん……? そんなこと思ってるわけないだろ? モモがお母さんなら、こんなこともできないから」
そう言って、大きな手で桃佳の胸をぐっと掴む。
「!! バカっ!!」
顔から火を噴きあげるように真っ赤になりながら、桃佳は悪戯をする多希の手の甲を思い切りつねり上げた。「いて」と胸から手を離した多希が、くすくすとおかしそうに笑っているのが、背中を直接通して伝わってくる。
背中から伝わってくるそのリズムに合わせ、桃佳もまたくすくすと笑った。それはとても穏やかな時間に思われた。


突然鳴りだした携帯の着信音に、ふたりは同時に体を固くした。多希の緊急呼び出し用の携帯と並んで置いてある桃佳の携帯が、着信を告げるイルミネーションを点灯させている。
「電話……誰だろう」
多希の腕を抜け出し、テーブルの上の携帯を掴む。表示されている名前に、さっと顔から血の気が引いた。その様子に気が付いて、多希は眉をひそめる。
駿からの電話。それ自体は何の不思議もない。けれど、こうして多希と一緒にいるときにかかってくる電話は、ずっと胸の中に押し込んである罪悪感を大きく膨らませる。桃佳は通話ボタンを押すと、寝室の方に走って行った。なんとなく、会話を多希には聞かれたくはない。

「……もしもし?」
『あ、清水?』
携帯の向こうから、いつもよりも明るい駿の声が聞こえる。すぐ近くで彼女の部屋の窓を見上げているなんてことは、勿論桃佳は知らない。
「あれ? 駿ちゃん、バイトの時間じゃないの?」
『うん、今終わったところなんだ。これからバイト先出るところ』
駿はわざとそんなことを言う。近くにいることは内緒にして。
「そうなんだ」
『清水は今部屋?』
「うん、そうだよ」
『そっか』
そこで桃佳は言葉に詰まる。『これから来ない?』駿がその言葉を期待しているのが分かったから。確かに今から会って、本当の事を告げるべきかもしれない。けれど突然で心の準備もできていない。けれど、長引かせるわけにも……そんなことを考え逡巡していると、突然部屋に硬い電子音が鳴り響いた。
あまりにも大きな音が部屋に響き、一瞬何の音かわからない。
多希が慌ててテーブルの上の緊急用の携帯を掴んでいるのが見える。ああ、呼び出しなんだ。と桃佳は思って、次の瞬間にどっと汗が噴き出した。今の音が、駿に聞こえていないはずがない。
『……誰かいるの?』
窺うような声。
「ち、違うよ。テレビの音っ」
多希が通話ボタンを押したので、変に硬い音の着信音は消えた。慌てて電話を取った多希は、自分の声を隠すためにさっと近くのカーテンに身をひそめて電話を取っている。




突然に桃佳の携帯越しに聞こえた着信音に、駿は驚いていた。まさかこんな時間に桃佳の部屋に誰かいるかもしれないなんて思いもしなかった。
それでも桃佳にも友達がいるはずだから、不思議ではない。けれど、友達が来ているのなら、ふたりで会えると思っていた駿にとっては少々残念だ。
「……誰かいるの?」
『ち、違うよ。テレビの音っ』
どこか硬い桃佳の声。それでも誰もいないということにほっとした矢先だった。桃佳の部屋のカーテンが揺れ、駿は驚いてその身を隠す。

そして、信じられないものを見てしまった。



「な……」
絶句してしまう。
『もしもし? 駿ちゃん? もしもし?』
携帯から桃佳の声が微かに聞こえる。
「あ……ま、た、電話する……」
『駿ちゃ』
桃佳がまだ呼びかけていたけれど、それを無視して通話を終了させる。今自分の目に映っているあまりにも衝撃的な出来事に、頭の中は真っ白だ。足が震えている。
「なんで……」
やっと言葉を振り絞る。
桃佳の部屋の揺れたカーテン……そこから顔をのぞかせるのは、当然桃佳だろうと思っていた。それなのに、そこから顔をのぞかせたのは、携帯を耳に押しあてた自分の兄。
「どういうことだよ……」
何度も何度も多希の姿が現れた窓を確認する。何かの間違いだと、桃佳の部屋ではないのではないかと思わずにいられない。けれど何度確認しても、そこは桃佳の部屋に間違いなかった。
電話を終えたらしい多希が、部屋に戻ろうとしている。カーテンが再び多希の姿を隠してしまうその一瞬、駿は見たこともないような穏やかな顔で微笑む兄の横顔を見た。きっとその笑顔の向けられた先は……

「なんだよ、これ」

怒りとか、悲しみとか、そういった感情はまだ出てこない。それ以上に混乱が強すぎて。目の前で見たことが、現実だとも思えない。悪い夢を見ているだけのような気がしてならないのだ。
人影のなくなった窓を見つめながら、駿は後ずさる。
今すぐ桃佳の部屋に乗り込んで、一緒にいるだろう彼女と兄を詰問することも考えた。
けれどそれでは今自分が見たことを認めてしまうことのような気がして、それが怖くてできない。認めたくない。その思いだけが駿の中に溢れていく。

後ずさるように後退していた足は、もつれながらも走り出す。
……桃佳のアパートから逃げるように。


悪い夢を見ているんだ。


駿は強く自分に言い聞かせる。


これは悪い夢なんだ。
早く醒めてくれ……

早く
早く……






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