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りんどう庵

ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


108.桃佳と……

2010.07.06  *Edit 

「ありがとうございました」

介護施設の職員詰め所で頭を下げ、桃佳は実習生に割り当てられた小さな部屋へと急いだ。壁にかかっている時計をちらりと見る。既に時間は18時になろうとしている。これから急いで帰っても、家に着くのは19時を過ぎてしまうに違いない。
今日から実習に来ている老人福祉施設は、桃佳の家からは電車で20分ほどかかる。それでも他の同級生に比べたら、まだましな方かもしれない。同級生の中には、もっと遠いところまで実習に行っている子も何人もいるのだから。
学校で学べるのは教科書上のことだけ。介護の専門学校といっても、介護施設と関係があるわけではない。実習をさせてもらえる施設は限られているので、こうして遠くても文句などは言ってはいられないのだった。

桃佳は実習用のジャージを脱いで、カバンの中に放り込むようにしてしまうと、急いで着替えを終わらせる。
本当はこんなにも遅くなる予定ではなかった。けれど、入所者のおばあちゃんに孫と間違われ、なかなか帰ることができなかったのだった。きっと実際に施設で働くことを考えたなら、ひとりにかかりっきりになって他の仕事もできなかった桃佳は失格なのだろう。けれど、そんなふうに寄り添う気持ちを、桃佳としては忘れたくはない。
重たい鞄を肩から提げて、桃佳は足早に施設を後にした。外に出た途端に携帯を開く。多希に遅くなることを伝えなければ、きっと心配するに違いないから。携帯の画面にメールの着信を見つけて、桃佳はそれを開いた。
「……多希さんから」
件名はなし。『遅くなるから、食事のことは気にしないで』たったそれだけの文章。絵文字も何もないそのメールに桃佳は少しだけ笑った。
短い文章で、多希がメールのやり取りが苦手なんだろうということは察しが付いた。しかめっ面で、メールを打つ姿を想像すると、妙におかしい。それと同時に気が抜けてしまった。多希が待っていると思ったからこそ気持ちが焦っていたのだから。
「……じゃあ、ゆっくり帰ろうかな」
たまにはコンビニで何か買って帰るのもいいかな……そんなことを考えながらカバンを肩に掛け直した桃佳は、自分に近づいてくる人影に気が付かなかった。


「清水……さん?」

名前を呼ばれ、桃佳は咄嗟に振り返る。けれど、振り返って声をかけてきた女性の顔を見て、一瞬で桃佳は混乱の中に叩き落されてしまった。
けれど、目の前の女性は、桃佳の混乱など知らぬ顔で、穏やかな笑顔を浮かべながらゆっくりと近づいてくる。
「ああ、やっぱり清水さん。こんばんは。駿の母です」
美佐子は桃佳の少し前で立ち止まると、深々と頭を下げた。


優雅にコーヒーを飲む美佐子を見つめながら、桃佳はどうして彼女がここにいるのかということばかりを考えていた。会いに来た理由も気になったものの、桃佳がここにいると知っていることの方がおかしい。確かに駿の家に行ったときに介護の勉強をしていると言った覚えはある。けれど、大学の名前を言った覚えはない。しかも今日は校外実習だ。
突然声をかけてきた美佐子に、「お茶でも飲みに行かない?」と誘われ、ついてきてしまった。ついてきてしまった……というよりも、美佐子からは誘いを断れないような強い何かがあって、とてもその誘いを断ることができなかったのだ。

「今日は実習だったのね。お疲れ様」
美佐子がにっこりと笑顔を向けてくる。しかしその笑顔とは裏腹に、まるで値踏みするかのような視線に、桃佳は思わず体を固くする。
そんな桃佳には気付かず、美佐子は穏やかに微笑み続けている。化粧っ気のない顔、ひとつに結い上げられてすっきりとした髪。控えめな印象。どれをとっても、美佐子にとって桃佳は好印象だった。『彼女』を思わせるような要素は、ひとつとしてなかったから。
だから、ここまでこうしてやってきたのだ。
「あの……」
おずおずと口を開いた桃佳を、美佐子は首を傾げて見つめる。
「あの、どうしてここが分かったんですか?」
その質問に、美佐子はふふっと笑って、桃佳の背筋が凍るようなことを口にした。
「どうしてって……そんなの簡単よ。清水さんが介護の学校に通ってるって聞いたから、介護系の学校に電話をして調べたの。清水桃佳さんはいますかって。なかなか見つからなくって、少し大変だったわ」
「で、電話……?」
「そうよ。親戚だって言ったら、ちゃんとこの実習先まで教えてくれたわ」
あくまで笑顔を絶やさない美佐子に、桃佳は逆に恐怖心を抱いた。
介護系の学校がどれくらいあるのかはよく知らない。それでも、ひとつひとつ電話をして自分の存在を探す美佐子の姿を思い浮かべるだけで、言いようもない恐ろしさに背中に冷たいものが走る。本当はそれほどまでして自分を探した理由を聞くべきなのに、唇は縫い付けられてしまったかのように動かない。

しばしの沈黙の後、優雅にコーヒーを飲んでいた美佐子が、かちゃりと音を立ててカップを置いた。それを合図にしたかのように、美佐子が口を開いた。
「ねえ、清水さん。あなた、多希君とはどういう関係?」
美佐子から多希の名前が出て、桃佳の頭の中は真っ白になった。心臓が壊れるのではないかと思うほど、大きな音を立ててその存在感を示している。体の芯が震えるのが分かった。
「多希君と……一緒にいたでしょう?」
唇が震え口の中はからからで、どうにも答えることができない。何をどう答えていいのかも分からなくて、桃佳は美佐子を凝視することしかできないでいた。そんな桃佳に、美佐子は何をどう解釈したのか、気の毒そうな視線を向ける。
「やっぱり……言えないわけがあるのね」
その言葉の意味が分からなくて、桃佳は言葉を発する代わりに眉をひそめた。
「清水さん、多希君に何をされたの? 酷いことされて、それであなた、仕方がなく多希君と一緒にいるんじゃないの?」


「……は……?」
たっぷり数十秒置いて、桃佳はやっと言葉を口にすることができた。相変わらず美佐子は、可哀相なモノでも見るような視線を寄こしている。
「可哀相に……そうだと思ったのよ。きっと多希君は、駿の彼女だからあなたのことどうにかしようとしたのね。駿から大事な人を奪おうとして……恐ろしい子だわ」
もうそこにはさっきまでの穏やかな笑顔も、気の毒そうな表情もない。ぎりっと爪を噛むその表情は、暗い感情に支配されているようだ。桃佳にしてみれば、多希のことを「恐ろしい子」だと言い捨てる美佐子の表情の方が、よほど恐ろしい。
「ねえ、清水さん。そうなんでしょ? じゃなきゃあ、あなたと多希君が一緒にいるなんてこと、考えられないわ!」
美佐子の剣幕に、桃佳は言葉を失う。間違いなく、多希と一緒にいるところを見られたに違いない。でもだからと言って、こんな風に自分の所在を確かめて待ち伏せたりするのは、とても尋常だとは思えなかった。
言葉を失っている桃佳の様子を、自分の問いかけの肯定だと受け取った美佐子の表情は、再び気の毒そうなものに取って代わる。
「……やっぱりそうなのね。可哀相に」
そう言うと美佐子は、コーヒーカップを握りしめていた桃佳の手に自分の手を重ねる。
「もう大丈夫よ。心配しないで」
ひんやりとした掌が重ねられ、桃佳は咄嗟に美佐子の手を避けるように、自分の手を引っ込めた。そうされたことが不満なように、美佐子は咎めるような視線を桃佳に向ける。それでも口元にはまだ笑みが湛(たた)えられていて、奇妙な不協和音を奏でていた。
「清水さん……大丈夫よ。これ以上、多希君の好きにはさせないから」
じっと見つめられると、桃佳の背中には冷たいものが走る。目の前の美佐子が怖くて仕方がないのだ。口調がとか、表情がとか、そう言うことではなく、本能的に怖いと感じていた。それでもこのまま美佐子の好きに誤解させておくわけにはいかない。
桃佳は決心したように、大きく息を吸い込んだ。
「……あのっ、私、その。違うんです。多希さんに酷いことなんてされてません」
桃佳の言葉に、美佐子の口元からはとうとう笑みが消えた。
「じゃあ、なぜ多希君と一緒にいたの? どうして、同じ部屋で過ごしていたの……?」
「!!」
美佐子がふたりが同じ部屋にいたことまで知っていることに、桃佳は大きな衝撃を受けた。それは、美佐子が桃佳の部屋も、多希の部屋も知っているに他ならないから。自分たちの知らないうちに、調べ上げたに違いないのだから……
指先が小刻みに震えだした。今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動にかられる。

「清水さん。多希君はね、駿からあなたを奪いたいだけなのよ。きっと、駿のことを妬んでいるのね。だからあなたに近づいたの。騙されているのよ、あなたは。分かる?」

美佐子は上目遣いでじっ桃佳を見つめてくる。冷え冷えとした視線に、桃佳は目を細めた。
確かに美佐子の言っていることは、半分は当たっている。そう、多希が自分に近づいた最初の目的は確かに美佐子の言うとおりだ。けれど、今はもう違う。今は絶対に違う。
その思いが、桃佳に反撃の力を与えた。
「違います。そんなんじゃありません」
本当は目の前の美佐子が怖くて、声が震えてしまう。
「……どういうこと?」
「私、脅されて一緒にいるわけじゃないんです。騙されてもいません。……私の意志です」
きっぱりとした否定の言葉に、美佐子の顔は桃佳が見た中で一番、暗く歪む。
「清水さん。あの子はね、恐ろしい子なのよ」
多希の全てをその一言で表現する美佐子に、桃佳の心は恐怖心よりも彼女への嫌悪が高まった。もうここで話をしても仕方がないと、桃佳は音を立てて立ち上がる。自分の思いを伝えたいのは、美佐子ではなく、駿だ。
「すいません、失礼します」
テーブルに千円札を置いて、さっと踵を返そうとする桃佳の腕を慌てて美佐子が掴んだ。
「待って! あなた分かってないのよ! 多希君は、きっとあなたを騙しているだけなんだから! あの子は誰のことも必要となんかしないわ!」
そう言いながら喚く美佐子の腕を、桃佳は強引に振りほどく。悔しくて、悔しくて我慢できずに涙が零れた。涙をこぼすことさえ悔しいのに、止められないのが更に悔しい。
「……多希さんのこと、そんなふうに言わないでください。ずっと多希さんを、苦しめてきたくせに……!」
「え……」
桃佳から出た一言に、思わず美佐子が動きを止める。そのすきに桃佳はその場を駆けだした。振り返らずに、店のドアを開けて外に走り出す。すっかり暗くなってしまった道を、桃佳は駅に向かって全力で走った。
美佐子が追いかけてくる気配はない。それでも、立ち止まらずに、桃佳は走った。
早く、多希に会いたかった。




桃佳の去った喫茶店で、美佐子は虚脱したように椅子に腰を下ろした。
しばらくそうやって何もない空間を眺めた後、きつく唇を噛み締める。そして、すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。



駿を守ってあげられるのは私しかいない。



歪んだ愛情が、美佐子の中で悲鳴を上げていた。




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