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りんどう庵

ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


118.蜘蛛の巣 2

2010.08.02  *Edit 

「だから……ね? 安心して」

穏やかに微笑む顔が、こんなにも恐ろしいと思ったことは今までなかった。何を安心しろと言うのか、桃佳には理解さえできない。それどころか、自分がどれだけ軽率だったかを知り、心臓は壊れそうな勢いで早鐘を打ちながら警告している。……危険だと。

「それにしてもあなた、悪い男に付け入られてしまったみたいね。きっと隙があったからよ。ダメねえ、しっかりしなくちゃ。だから駿が苦しむんじゃないの」
そう言うと美佐子は桃佳を睨みつける。穏やかそうに微笑んだり、こうして憎々しげに睨んできたり、美佐子の表情はコロコロと変わる。それが更に桃佳の恐怖心を煽る。
「でも……悪いのは多希君ですものね。あなたを責めるのは間違っていたわ。ごめんなさい」
今度は申し訳なさそうに目を伏せている。
次々に変る言動。桃佳の目には、そんな美佐子が酷く不安定に見えた。いつだったか拓巳から聞かされた話を思い出す。多希がネグレクトにあっていて、それが発覚した後、拓巳は確か美佐子は精神科に入院していたと言っていた。もしかしたら今でも精神が不安定なのかもしれない。
「清水さん」
そんなことを考えこんでいた桃佳は、すぐそばで美佐子の声が聞こえてはっとする。桃佳のすぐ隣に美佐子が座って、何を考えているのか分からない表情で彼女を見ていた。距離を取ろうにも、桃佳が座っている位置もソファーの端。逃げ場もない。
「……だからあなたは、今すぐ多希君から離れるべきなの。だってあの子は、駿からあなたを奪いたいだけなんですもの。母親と一緒なの」

母親と一緒。

その言葉が引っ掛かった。今、このタイミングで多希の母親の話が出てくるのが不思議でならない。しかもその言葉を口にした美佐子は、憎しみも露わな表情を晒している。まるで、憎しみの対象を見つけたかのような。
だから桃佳は思い切って口を開いた。
「……母親と一緒って……どういうことですか?」
「あの子の母親はねえ、人のものを奪うのが大好きなのよ。私から夫を奪った、恐ろしい女なの。だから咲の血を引いている多希も、おんなじなのよ。駿からあなたを奪おうとしてる。恐ろしい子」
吐き捨てるように美佐子はそう言った。憎しみという言葉を、そのまま顔に出したような表情だった。思わず桃佳はその表情に震える。
「……でも、でも、多希さんは違います……」
桃佳はそれでも小さく反論する。なんとなく、美佐子が憎んでいるのは、多希の母親であって、多希自身ではないというい事に気が付いたから。
けれどそれは、美佐子の怒りに火をつけるだけでしかなかった。

「同じよ!! 咲も多希も同じ!! こっそりと他人から大事なものを奪い取るの!! そして陰で嗤っているんだわ……馬鹿にしてるんだわ!!」

肩を震わせながら、どす黒い顔色をした美佐子は座ったままでそう喚く。目は……どこか遠くを見つめながら。そんな尋常ではない様子に、桃佳は完全に凍りつく。
どこか遠くを見ていたような美佐子の目が、桃佳に向けられた。炎を宿したようなその視線に、身動きさえできない。そして美佐子は桃佳の両肩をしっかりと掴んだ。

「あなたには分からないわ……十年以上耐えてきた私の気持ちなんて……咲に苦しめられ続けてきた私の気持ちなんて……」
肩にめり込むほどの強さで、美佐子は桃佳の両肩を更に強く掴む。
「あなたは咲みたいに、化粧も濃くなくて、香水の匂いもぷんぷんしていなくて、控えめで……だからあなたのことは嫌いじゃないわ。汚らしい、あの女を思わせないから」
口元は笑みの形に吊り上げられてはいても、瞳に宿った炎は未だにチロチロと燃えている。自分の身の内で燃やされる、きっとそれは嫉妬と憎しみの炎。
「で、でも……多希さんのお父さんとお母さんは、ずっと前に離婚されているんじゃあ……」
単純な疑問だった。
多希が生まれて間もなく離婚したと拓巳が言っていた気がする。美佐子の口にする『咲』という女性は、もう過去の人間のはずなのに。
その疑問に答えるように、美佐子は冷たい笑みを口元に浮かべる。
「あら、良く知っているのね。そう、咲と孝幸さんはもうずっと前に離婚したの。けど……その関係は続いていたのよ。私と結婚してからも。彼女にお店まで持たせていたって知ったときには、気が狂いそうになったわ」



美佐子の中に、当時の記憶が過ぎ去って行く。
きっかけはある日の電話……夫の忘れていった携帯に何気なく出たのが始まりだった。
『もしもし』
聞こえてきたのは聞き覚えのある女の声。聞き覚えのある……違う。忘れもしない女の声。凍りついた自分を今でも昨日のことのように覚えている。
それは間違うはずもない、夫の昔の妻の声だったから。

咲と孝幸が結婚した頃、美佐子は孝幸の会社の事務員をしていた。ひそかに憧れていた孝幸……勿論自分とは不釣り合いだということも分かっていてただ憧れていた。その彼が妻として迎えたのが、あろうことか水商売の女。一流企業の令嬢ならば仕方がないと諦めもついたのかもしれない。しかもその女は、とても綺麗な赤ん坊まで抱いていた。幸せそうに笑うふたりを、美佐子が祝福できなかったのは言うまでもない。
あんな女が相手だなんて……!!
思えば、美佐子が咲に憎しみを抱いたのは、初めてその姿を見た日からだったのかもしれない。

咲が柴山家を出て行ったと聞いたとき、美佐子は嬉しくて堪らなかった。自分の番だ……なんて図々しいことを考えたわけではなく、これで彼の足を引っ張る人間がいなくなったという安堵感。事実、水商売上がりで妊娠までしていた咲のことを、悪く言う者は少なくなかった。美佐子にはそれが耐えられなかったのだ。あの女のせいで、孝幸まで悪く言われるなんて許せなかった。だから、離婚が正式に決まった時も、これでもう大丈夫だとどれだけほっとしたかしれない。
それからすぐに先代の社長である孝幸の父親が病気で他界し、そのショックからか母好乃は脳梗塞で倒れ不自由な体となった。好乃はきちんと家政婦が世話をしていたものの、美佐子は少しでも孝幸の力になりたいと、仕事が終わってからや、休日に時間を見つけては好乃の元を訪れるようになる。
本当に、ただ孝幸の力になりたいだけ……そんな思いで。
甲斐甲斐しく母の世話をしてくれる美佐子に、孝幸も心を開いて接するようになるまで時間はかからなかった。そして、好乃のたっての願いもあり、ふたりは結婚することになったのだ。

美佐子は幸せだった。ずっと憧れ続けた孝幸と一緒に生きていけるんだと。
確かに不安がないわけではなかった。特にそう……咲の子、多希との関係。うまくやっていけるのだろうかと。けれど、美佐子は思っていた。きっと大丈夫。孝幸さんの子供なんだから、多希君のことだって大切にできる……と。みんなで幸せになるんだと。
実際幸せだった。あの電話を取るまでは。
やっとひとりでお座りできるようになった息子の駿はこの上なく可愛らしかったし、多希も口数は少ないなりにもいつも笑顔を見せてくれていた。なによりも、孝幸が側にいてくれる。
なのに、あの電話を取ってしまったのだ。

『もしもし……?』
電話から聞こえてくる女の声。咲の声だと確信した時、美佐子の視界は真っ赤に染まった気がした。
「……もし、もし」
自分の存在を相手の女に知らせたくて、震える声を押しだす。美佐子の思惑通り、受話器の向こう側の人間が、息を飲む音が聞こえた。
「孝幸は……主人は、携帯を忘れて行ったみたいでして。お電話があったことを伝えておきますよ? ……お名前は?」
微かな間。それが咲だという確信をさらに強める。
「……あの、またかけ直しますので……失礼します」
その言葉と共に、電話は一方的に切られてしまった。美佐子は虚しく沈黙する携帯を睨みつける。そして、徹底的に孝幸の携帯の中身を調べたのだった。
分かったことは少しだけ。
咲からの番号は個人名では登録されてはおらず、また、同じ番号からの着信は残っているだけで三回。最初の着信は、二か月前のもの。けれど、残っているものに限りがあるということを考えれば、きっともっと以前から、何度も連絡を取っているに違いないのだと美佐子は思う。そして、言いようもないようなじりじりとした自分を感じるのだった。
孝幸が咲と連絡を取り合っているなどと、考えもしなかった。咲とのことはとっくに終わっていると……けれど、咲は多希にとっては母親なんだから連絡を取り合っていいても不思議はないと、美佐子は心の奥で燻る炎から目を逸らしたのだった。

そんな矢先に、美佐子は見つけてしまったのだ。書斎の本の間に大事に挟まれた、一枚の写真を。
掃除の際に一冊だけきちんと納まっていない本を見つけて、何気なく手に取る。孝幸の読む本は、美佐子の読むようなものではない。それもまた建築の専門書のようだった。見ても分からない専門書を本棚に戻そうとした時、ひらりとそれは足元に落下した。
「あら?」
手にとって見たとき、美佐子は思わずひざから崩れ落ちる。
美佐子の手には一枚の写真。光り輝くような笑顔を向ける、美しい咲。写真に残っている日付からも、それがもう咲と孝幸が結婚する前のものだと分かる。過去の写真……それでもこうして見つからないように、大切にしまいこまれたそれは、きっと何度も孝幸の目に触れていたに違いない。自分と生活しながらも、咲の写真を眺めている孝幸を想像して、美佐子は悲鳴を上げたい気持ちになった。
孝幸に愛されたいと願っていた。ずっと、勿論今でも。けれど、心のどこかで、孝幸が自分と結婚したのは、好乃の介護をしてくれたことに対するお礼のようなものだといつも感じていた。

やはり孝幸が愛しているのは咲だけ。
孝幸が心から求めているのは咲だけ……!!

心が壊れてしまいそうだった。いっそ壊れたいとさえ美佐子は願った。それでもやはり真実は何か違うものじゃないかという期待も捨てられない。だから、興信所に依頼したのだ。ふたりの仲を。
そしてその結果に、美佐子は依頼をした自分を恨むしかなかった。そこにあったのは、知りたくもない真実ばかりで……
孝幸は咲に店を持たせていた。咲はそこでママとして働いているという。仕事の接待などで、その店に頻繁に出入りする孝幸の姿が写真に収められていた。一緒に写り込んだ咲は、綺麗に着物を着こなして穏やかに微笑んでいる。
確かにその店以外で会っている二人の写真はない。浮気しているという決定的な証拠はなかった。
それでも美佐子には、もうそれで十分なような気がした。

ああ、ふたりはこうして今も続いているんだ。

呆然とそう思い、泣くこともできなかった。ただ、凄まじいほどの怒りと憎しみが美佐子の中で生まれた。勿論、孝幸に対してではない。咲に対して……そして、彼女に良く似た瞳をもつ、多希に対して。
けれど孝幸と別れるつもりはなかった。しがみついてでも、この先も一緒にいようと心に決めていたから。愛しているから。愛? 本当にそれだけなのか、美佐子にももう分からなかった。それでも孝幸から離れるという選択はできず、内に秘めた悲鳴にも似た感情だけが日々熟成されていく。




長い記憶は、けれど美佐子にとっては一瞬でしかなかった。何度も美佐子の中で繰り返された記憶は、もう古びたモノクロ映像のようだ。
ほんの少しだけ、自分の思いに耽ったような美佐子を、桃佳は恐る恐る見つめていた。

「ただ……幸せになりたいだけだったのに……」

ポツリと呟いた言葉は寒々としていて、美佐子に対して恐怖心すら抱いている桃佳の胸も、きりりと痛んだ。
『幸せになりたい』
それは誰にでもある感情。桃佳だって求めて止まないもの。美佐子はただそれをずっと追い求め、どこかで何かを間違えただけなのかもしれないと、そんなふうに思う。
確かにそうは思うけれど、やはり桃佳には美佐子のことは許せないし、それに恐ろしい。ぼんやりと濁った瞳を彷徨わせている美佐子を横目で見て、桃佳は帰るなら今しかないと思う。
「……っ私、やっぱりまた後で来ますから」
立ち上がろうと思った。立ち上がってこの部屋を出ていくはずだった。けれど自分のものではないかのように、足にはうまく力が入らなくて……
「……あ」
二歩ほど足を進めたところで、前のめりに膝をついてしまった。
綺麗な若草色のスリッパが視界に入り、桃佳は視線を上げる。そこにはにっこりと微笑んだ美佐子が桃佳のことを見下ろしていた。

足だけでなく、体にもうまく力が入らない。頭の中もなんだかぼんやりと霞がかかる。
何かをされたのだろう、と感じても、何をされたのか考えられるほど、桃佳の思考ははっきりとしていなかった。頭がぼんやりして、うまく考えられない。

「ダメよ。駿が帰ってくるまでここにいていいって、そう言ったじゃない」

完全に美佐子の罠にはまってしまった自分を自覚することさえ、桃佳にはうまくできそうもなかった。


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