りんどう庵

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りんどう庵

ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


122.懺悔

2010.08.13  *Edit 

行くあては、本当はいくらでもはるはずだった。
ゲームセンターで時間を潰してもいいし、映画を見たっていい。図書館という手もある。けれど、どれも気が進まなかった。気が進まないというよりは、約束が気になって、他の選択肢など頭に浮かびもしなかったと言った方がいいかもしれない。
駿は携帯を開いて時間を確認する。桃佳が指定した時間からもう既に二時間が経過していた。
きっともう待っているはずがない……そう思う一方で、きっと桃佳が待っているに違いないという思いも、心の中にこびり付いて離れなかった。自分をただじっと待っている桃佳の姿が、簡単に想像できる。

「くそ」

駿は小さく呟いて一歩踏み出す。……家に向かって。
逃げるのも、真実を知るのもどちらも辛いのであれば、もう逃げることに意味などない。少しだけ自暴自棄な気持ちが彼の中を占める。
だったら、向き合ってみようと……








「何も聞きたくないわ……」
「美佐子」

ハサミを両手でしっかりと握りしめて、その切っ先を孝幸へと向ける美佐子。孝幸は狼狽するでもなく、やはりただ悲しげに美佐子を見つめていた。
桃佳は人が人に刃物を向ける光景を目の前にして、足が竦んで動けないでいた。足だけでなく、もう全身竦んでしまっていた。

「美佐子……」
妻の名前を呼びながら、孝幸は血に塗れた手を美佐子に向かって伸ばした。彼女は拒むようにその手に向かってハサミで切りつける。孝幸の手の甲に刃先がかすって、桃佳の頬と同じように薄く血が滲む。
「やめて」
小さく、けれど鋭く美佐子は叫んだ。
孝幸の告げた言葉……それを信じることも否定することも、どちらも美佐子にとっては苦痛でしかない。
孝幸の言葉を信じれば、あそこまでの仕打ちをしてきた多希を憎む理由がなくなる。理由もなく虐待を繰り返した鬼母であるということを、認めなければならない。
そして、孝幸の言葉を否定すれば、妻である自分を傷つけてまでも、孝幸が咲との関係の秘密を守ろうとしていることになってしまう。
そんなこと、美佐子にとってはどちらも受け入れがたかった。いや、受け入れられるはずもなかった。
だから孝幸の話などなかったことにしようと思ったのだ。けれど、崩壊し始めている思考回路は、『孝幸の話』をなかったことするはずが、『孝幸の存在』をなかったことにしようと美佐子に指令を出してしまったのだ。
だから、美佐子は全てをなかったことにするために尖ったハサミの先端を、憎むことさえできなかった大事な人に向けてしまったのだった。

「美佐子……」
悲しげに美佐子を見つめていた孝幸がその瞳を伏せる。そして再び視線を美佐子に戻した時、そこにはひどく温かで優しい瞳があった。孝幸は真っ直ぐに美佐子を見つめる。
「美佐子……お前の好きにしてもいい。お前をこんなふうにしたのは、こんなふうに追いこんでしまったのは全て私のせいだ。だから……お前の好きにしてもいいんだよ」
「……っえ?」
孝幸の言葉に、美佐子は驚いたように目を見開いた。
「本当にすまなかった。こんなにも苦しい思いをさせてしまって」
「あな……た、何を、言ってるの?」
全てを受け入れようとするような孝幸の言葉に、美佐子の体は大きく震えだした。体と同じようにその声も震えている。
「美佐子。私にとって大事なのは、本当に咲じゃなく、君だったんだ。嘘じゃない……本当なんだよ」

ふたりの姿を見つめていた桃佳もまた震える体を止められなかった。そして桃佳は何かに気が付いたように「あっ」と小さく声を上げた。美佐子の頬を涙が伝うのに気が付いたから。
初めて見る美佐子の涙。その表情は、憎しみも怒りも後悔も悲しみも全てごちゃ混ぜにしたような苦しげなもの。けれどその頬を伝う涙は、とても澄んでいるように桃佳には感じられた。

「美佐子、すまなかったな」
相変わらず優しく美佐子を見つめながら、孝幸がその手を伸ばす。美佐子はハサミの切先をまだ彼に向けていたものの、それでも自分に向かって伸ばされる手に、さっきのようにハサミを振るうことはない。ただ、きつく唇を噛んで涙を零している。
「もう一度、きちんと一から全てをやり直せないか? そうさせてほしい」
孝幸の言葉に、美佐子の顔は悲しげに歪む。
そして、突然に孝幸に向けられていた切先は美佐子の喉元に向けられた。
「美佐子!!」
「動かないで!!」
切先を喉元にあてながら、美佐子が声を荒げる。けれどその表情はさっきよりもずっと穏やかなものだった。口元には、ほんの少し笑みさえ湛えられている。
「私……酷い女だわ」
美佐子が瞬きをするたびに、大粒の涙がボロボロと零れおちていく。
「あなたが悪いんじゃないの……信じなかった私が悪いの」
美佐子は崩れ落ちていくように、自分の中から黒い何かが抜けていくような気がしていた。それと同時に、自分を糾弾する声が美佐子を包んだ。多分……それは幻聴。けれど美佐子にとっては現実の声と何ら変わりがない。
耐えがたいほどの、引き裂かれそうなほどの、苦しみが一気に彼女を襲っていた。

「分からないの……本当は。あなたのことを信じたいの。だけど、信じられない自分もいるの……それが辛いのよ。それが……許せないのよ」
長年一緒に暮らしてきた孝幸。彼の言葉が嘘か本当かくらい、美佐子にも分かっていた。頭では分かっているはずなのに、その事実を美佐子の心が受け入れることを拒否している。
直接に美佐子を糾弾する声は、孝幸や多希、駿や咲の声に次々と変わっては美佐子を苛んだ。
お前のせいで家族が不幸になったのだと。
憎むべき相手ではない相手を憎み、傷つけた。家族をばらばらにしてしまった。そして、多希の中に駿を憎む気持ちを芽生えさせてしまった……
そう、今駿を苦しめているのは、自分のせいなのだ。誰よりも守りたいと願った、大事な息子。悲しませる相手は誰であろうと許さないと思った。

「なのに……あの子を苦しませたのは、私のせいだなんて……だったら私は、私のことを許しちゃいけないんだわ」
そう言いながら美佐子は手に持っていたハサミを大きく振りかぶる。切先は美佐子の喉元に向けられたまま。
桃佳は思わず声にならない悲鳴を上げて、頭を抱えた。もう、ダメだと、そう思った。
「美佐子!!」
孝幸の一際大きな声に、恐る恐る目を開ける。もしかして目の前に血が広がっているんじゃないかと想像したら、それだけで耐えられないくらいに恐ろしい。けれど、桃佳の目に血の色は飛び込んでは来なかった。
孝幸が、必死に美佐子の腕にしがみついていた。
切先は美佐子の喉元に少し食い込むようになっているものの、皮膚には傷が付いていないようだった。
「どうして……止めるの?」
虚ろな視線を孝幸に向け、美佐子は呟く。しっかりと握っていたハサミは、孝幸に奪われ、今度こそ手が届かないように遠くに投げられる。見えない場所で、硬く重い音が響いた。
「頼むから……こんなことはしないでくれ。私がお前に責められるのは当然だと思っている。当然なんだ……いつだって私は、家族のことを見ないふりをしてしまったんだ。もっと早くお前を助けられたはずなのに……すまない。本当にすまない。それでも私は、お前を……家族をなくしたくはないんだよ。我儘だと思われても、なくしたくはないんだ……!!」

弱い私を許してくれ。

血の滲むような孝幸の声は震えていた。咲をなくして、今度こそは家族を失いたくないと切実に思っていはずだった。それなのに日々に忙殺され、仕事に打ち込むことで、その失いたくなかった『家族』から目を逸らし続けてきてしまった。表面上は多希に対するネグレクトがなくなったことにほっとし、その原因を探ろうともせず、駿が生まれたことによる環境の変化のせいだろうと思い込んでいた。
あの時、もっと自分が美佐子の気持ちを確かめて、もっとたくさんふたりで話し合っていたのなら……きっとこんなことにはならずに済んだに違いない。
孝幸の胸に、今更どうにもならない後悔だけが苦くこみ上げていた。
今となってはもう、孝幸には美佐子に詫びることしかできない。

「あなた……」
肩を震わせて自分に謝罪し続ける孝幸に、美佐子は首を振る。
「私を……許してくれるの?」
「許してほしいのは、私の方なんだよ、美佐子。すまなかった」
「あなた」

ずっと凍りついていた何かが、美佐子と孝幸の間で溶けだしていくのが、桃佳にも分かった。
けれど、それは思い違いだということをすぐに思い知らされることになるなんて、桃佳は思いもしてなかった。
涙を流しながら孝幸を見つめていた美佐子の瞳が一瞬細められたかと思うと、急激に光をなくす。ゆらりと立ちあがった美佐子が、急に桃佳に突進してきた。
「美佐子!?」
すっかり分かり合えたものだと思い込んでいた孝幸は油断していて、その体を捕まえることができなかった。桃佳も、突然に自分に向かってくる美佐子をどうすることもできない。鬼気迫るような表情で突進してきた美佐子は、玄関に桃佳を押し倒して肩を床に縫い付けた。
「どうして!! どうして駿を苦しめるの!! どうして、あんなに恐ろしい子の味方をするの!!」
激しく桃佳の体を揺すりながら、罵る美佐子。
「あなたも他人から幸せを奪うの!?」
「美佐子!! やめるんだ!!」
孝幸は止めに入ろうとしたものの、掌が血で滑ってうまく立ち上がれない。それよりも、目の前の出来事に体がうまく反応してくれないというのが本心だ。分かってくれたと思っていた矢先のことだったから。
美佐子の手が、桃佳の頬を打とうと大きく振り上げられた。
その時。

「かあ……さん?」

玄関の開く音と共に聞こえた声に、美佐子はゆっくりと顔を向けた。そして、声の主を見つけてにっこりと微笑む。
「あら。駿。おかえりなさい。外は暑かったでしょう?」
何事もなかったような優しい声に、駿は顔色を失った。
玄関先で桃佳を馬乗りになって押し倒している母。母に押し倒され、顔に傷を作り髪の切られた桃佳。そして、廊下で腕から血を流している父……
「何が……あったんだ?」
駿の当然の問いに、美佐子は不思議そうな顔をする。
「……? なにが? 何もないわよ。ああそうだ。今日はお父さんが早く帰ってきたの。ほら、清水さんも来てるのよ。そうだわ、みんなで一緒にお夕食食べましょうか?」
にこにこと楽しそうに、とてもこの場には似つかわしくない明るい声で美佐子はそう言った。
「美佐子……」
腕を庇いながら近寄ってきた孝幸が、そっと肩を抱いて美佐子を桃佳の体の上から離させる。
「……そうだな、そうしようか。みんな一緒に」
「ええ、そうしましょう。あなた。賑やかになるわね、嬉しいわ」
やはり嬉しそうににっこりと微笑んだ美佐子の目は、現実とは違う空間を見つめているようだった。

「駿、その子を……」
呆然と状況を理解できないまま立ち尽くしていた駿は、孝幸のその一言にビクンと体を震わせ、小さく何度か頷く。
「し、清水……大丈夫?」
美佐子がどいても起き上がることさえできないでいた桃佳の体を、そっと引き起こす。その体は震え、駿の問いにも答えずにただ唇は引き結ばれていた。まるで、心が現状を理解するのを拒否しているかのように……
ただ、瞳だけは、壊れてしまった美佐子を捉え続けたままで。


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