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ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


123.見たこともないふたり

2010.08.18  *Edit 

イライラしながらも、何とか多希はミスをすることもなく仕事をこなしていた。
たった三十分の時間があれば、桃佳の部屋に行って様子を見てから帰ってくることもできるというのに、その時間さえもままならない。
忙しくて仕方がないというよりも、嫌な間隔で急患がやってくるので、持ち場を離れるわけにはいかなかった。

救急外来にやってきた肺炎疑いの患者の胸部レントゲンを終え、とりあえず大きく息をつく。できることならばこれで一旦波が引いてくれるとありがたい、そんなことを思いながらどかりと椅子に腰を下ろした。
その時、ジーンズのポケットに捻じ込んであった携帯が震えているのに気が付いた。
本来なら、院内は所定の場所以外では電源を切らなければならない。そんなこと、職員である多希自身も良く分かっていた。それでも桃佳からの連絡があるかもしれないと思ったら、どうしても携帯の電源落とすことができなかったのだ。
多希は慌ててポケットから携帯を引っ張りだすと、誰からの着信かも確認せずに通話ボタンを押す。そして、血の気が引くのを感じた。

『もしもし……兄貴?』

携帯から聞こえる弟の声に、金曜日に駿が桃佳にした仕打ちを鮮やかに思い出す。何か悪いことが起こったのではないかと、直感するには十分だった。





「大丈夫?」
その声が自分に掛けられたものだと理解するまで、数秒要した。それほどまでに桃佳はただぼんやりと空を見つめていたのだった。
「……大丈夫」
背中をぴんと伸ばし、声をかけた主……駿をまっすぐに見て桃佳はそう答える。そうして、さっき渡された冷たいお茶を一口含む。けれど、自分が何を口にしたのか、桃佳には良く分からなかった。ただ冷たい感覚だけが口腔内に広がる。
駿は妙に落ち着きはらった態度の桃佳を見つめ、眉をしかめた。
頬には大きめの絆創膏。髪の毛は、右側だけが顎のラインでバッサリと切られている。それに……さっき見た光景。自分の母親が桃佳に馬乗りになって、手を振り上げていた。
頬の傷ひとつ取っても、とても本人から何があったのか聞けるような状況ではない。とんでもないことがこの家の中であったことだけは駿にも理解できた。父は腕から血まで流していたのだから。そして母は……とてもまともではない。
それなのに、こうも落ち着き払った桃佳の態度はどうにも腑に落ちない。泣きわめくでもなく、震えるでもなく、ただ静かな表情でソファーに座ってお茶を飲んでいる。
少し休むように促した居間に、桃佳はすんなりと入り、勧められたお茶を大人しく飲んでいる。本当に静かに。
その様子だけ見ていると、ここで何かあっただなんてとても信じられないほどに。

「少し落ち着きましたか?」

低く落ち着いた声に、桃佳はゆっくりと視線を上げる。目の前に孝幸が立っていて、桃佳に向かって深々と頭を下げた。
「……美佐子が、本当に申し訳ありません」
「……いえ」
ぼんやりと、自分の言葉を理解しているのかどうかさえ怪しい桃佳の返答に、孝幸は顔を歪めた。美佐子と同じように、彼女もまた壊れかかっているように思われて……
「父さん。母さんは……」
「ああ、今は少し眠ったよ。目が覚めたら、病院に連れて行く」
孝幸は美佐子の持っていた睡眠薬をとりあえず彼女に飲ませていた。すぐにでも病院に連れて行った方がいいのかもしれなかったが、自分の怪我も何とかしなければならなかったし、桃佳のことも気になっていた。
「それより駿、彼女を送ってやってもらえないか? 父さんは母さんの側を離れられないから」
そんな孝幸の言葉に、駿は少しだけ苦い顔をする。
「……もう少ししたら、兄貴が迎えにくるよ」
美佐子の言葉を思い出して、孝幸は複雑な気持ちになった。そう、桃佳は駿の恋人で、けれど多希を選んだのだという事実。この状況で兄を呼んだ駿の気持ちを思うと、父親として心が痛む。そして、想い人のこんな姿をこれから見る多希の気持ちを思うと、胸がざわめいた。
「……そうか」
小さくそれだけ呟くようにして、孝幸は口を閉じる。そして桃佳に視線を戻した。
何事もなかったかのような無表情。ピンと伸ばされた背筋があまりにも不自然だった。
「病院に行きませんか?」
そう孝幸に声をかけられ、桃佳はぶんぶんと首を振る。否定というよりも、拒否。
「大丈夫ですから……大丈夫です」
そう答える表情もまた、無表情。どこまでも感情の表れない桃佳の顔に、孝幸と駿は顔を見合わせてため息をついた。とても自分たちの存在では、桃佳をどうにもすることができないだろうという事実に。

どうにも気まずいような空気の中に、キキっと車の急停車する音が聞こえた。そしてバタバタとつんのめるような足音の後に、乱暴に玄関ドアが開かれる。

「モモ!!」

慌てて居間に飛び込んできた多希は、真っ青に顔色をなくし、見たことがないほどに取り乱していた。詳しい話は駿から何も聞いてはいない。ただ、『清水が家にいるから迎えに来てほしい』という連絡をもらっただけ。
詳しいことがないも分からないことが余計に、多希の気持ちをはやらせていた。
病院から車を走らせる間中、ずっと悪い想像ばかりが多希の頭を掠めて、何度眩暈を起こしたかわからないほど。しかも、駿のところにいるという事実は、多希の嫉妬心を煽った。桃佳が自分に黙って駿に会っている……そう思うだけで、頭を掻き毟りたくなるほどの嫉妬心に苛まれた。自分の嫉妬深さに、呆れてしまうほど。
けれど、柴山の家に着いた時には、もうそんなことはどうでもよくなっていた。ただ、桃佳に何か起こったのではないかという不安だけが多希を激しく突き動かしていたのだ。
そして、居間に入ってソファーに座る桃佳を見た時、既に真っ青だった多希の顔が、更に血の気をなくして白く染まる。

「モモ……」
「多希、さん」

桃佳の瞳に多希の姿が写った瞬間、彼女の顔は泣きそうに歪む。ふうと大きく息を吐きながらしゃんと伸びた背筋は丸くなって、真っ直ぐ前を見つめていた顔は俯く。まるで、風船の空気が抜けていくかのように見る見るうちに小さくなっていくようだ。
その変化に駿は目を見張った。
何度声もかけても、桃佳は表情ひとつ変わらなかった。何事もなかったかのように……自分を閉じ込めたかのようにただじっと無表情だった桃佳。それが多希のたった一言で、その表情は突然に人間らしくなったのだから。

「何が、あったんだ……!!」
その場にいる全員に問いかけるように苦しげに声を絞り出しながら、多希は桃佳に駆け寄ると膝まづいて彼女の手を大事そうに包み込んで、気遣わしげな視線を向ける。そして大きな絆創膏の貼られた頬をそっとなぞり、不格好に切られたくせっ毛を見て顔を顰める。
「何があったんだ!!」
棘を含む鋭い声に、駿はビクンと肩を震わせた。それは駿自身も気になっていたことだった。けれど、聞けずにいたこと。桃佳を思いやってのことではない。家族の中に何かがあったのかを知るのが怖かっただけにすぎない。
けれど目の前で怒りをあらわにする兄は、ただ桃佳のことしか考えていないように見えた。
「多希……」
「多希さんっ」
事の成り行きを説明しようとした孝幸の声を遮るように、桃佳がその肩をしっかりと掴む。
「多希さん……なんでもないの。私がね、悪かったの。何も考えないで行動したりしたから。だから……なんでもないの」
「モモ……」
必死に目の前の多希の肩を掴んでそう訴える桃佳の言葉が嘘だということくらい、多希にはお見通しだ。そう、桃佳は嘘が下手だから。それでも必死になって何かを隠そうとしている。多希の肩を掴んだ手は、がたがたと震えていた。
「なんでも、ないの……」
ぎゅっと唇を噛み締めているその顔に、多希は顰めていた秀麗な顔をふっと和らげる。
「……そっか、分かったよ。なんでもないんだね」
ほんのりと微笑みを浮かべた多希の顔に安心したように、桃佳は何度も何度も頷く。
「分かったよ」
そう言いながら、俯く桃佳の頭を、多希は優しく撫でつけた。柔らかくて温かな、慈しむ顔がそこにはあった。駿が初めて見る多希の顔。そして振り返った兄の顔もまた、見たことがないものだった。
そこにあったのは、『後で何があったのか、全部話してもらうからな。逃げられると思うな』とでもいうような恐ろしい視線。
事実多希は、桃佳があんなことを言わなければ、駿や孝幸の襟元を締め上げてでも何があったのか、全て吐かせるつもりでいたのだ。事の次第では、この家を捨てようとも思っていた。けれど、あんなふうに必死に何かを隠したがっている桃佳の目の前で、そんなことしてしまえば余計に彼女を傷つけるに違いない。……だから、迸る激情を必死に抑え込んだのだ。
桃佳のためならば、それくらいのことは容易い。

「とにかく、帰ろう」
孝幸と駿を睨みつけるようにした後、多希は再び優しい笑顔を桃佳に向けてそう言った。桃佳はちらりと視線を上げて、小さく頷く。
本当は駿にも多希にも今日のことを知られたくないと思っていた。けれどこうして目の前に多希がいてくれて、桃佳はほっとしている自分を隠しきれない。どれだけ自分が心細かったかを、痛烈に思い知らされる。
知られたくないと思っていたのに、どこまでも我儘だ……そんな感情が、桃佳の心に黒い染みを広げる。それでも、今はそんな感情を認める力さえもう残ってはいない。
「モモは俺がちゃんと連れて帰るから」
「え? あっ」
ふわり。
桃佳の体が宙に浮く。拒否する暇も与えないほど、多希が風のように桃佳の体を持ち上げていた。
「あ、あのっ、自分で歩けますからっ!」
あたふたして目を瞬かせている桃佳の額に、多希は自分の額をぶつける。
「うるさい。心配かけたんだから、大人しく抱かさってろ」
「……うっ」
口をへの字に曲げたまま反論できない桃佳に満足したように綺麗ににこりと微笑み、多希は桃佳の荷物を引っ掴み、さっさと柴山家を後にした。

後に残された駿は、ふたりの仲を見て嫉妬することも忘れて唖然としていた。
ついさっきまで目の前にいたふたりは、完全に駿の知らない桃佳と多希だったから。

あんなに誰かを愛おしげに見つめる多希を駿は知らない。
あんなに誰かのために激しさを前面に出す桃佳を駿は知らない。

「ふ」
知らず笑っていた。
何が可笑しいわけでもないけれど、力ない笑い声は駿の口から漏れだす。
ひとしきり力ない笑い声を出した後、吐き出される大きなため息。
「あ~あ」

ふたりの周りを満たしている空気が、何を説明されるよりも、ふたりの関係をはっきりと示していた。
あのふたりの周りに満ちている空気は本物だ、ということを、分かりたくなかった人間にも理解させてしまうほどに。
だから嫉妬さえできなかった。

……認めざるを得ない。認めたくなくても。



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