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りんどう庵

ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


125.提示された選択肢

2010.08.21  *Edit 

「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」

多希は顎のラインで切り揃えられた桃佳のくせっ毛を指で梳いて、そっと彼女に微笑みかけた。
昨日あれからとりあえず一番短い髪に合わせて髪を切り、何とか見られる状態にはできた。けれどもう美容院に行くような気力のなかった桃佳は、多希に切り揃えてもらったままで昨日は過ごしたのだった。
「美容院、気を付けて行ってくるんだよ」
「はい」
「余計な寄り道はしないように」
「分かってます」
多希は昨日の事があったので、桃佳には今日は学校を休むように提案していた。桃佳は意外にもあっさりとその提案を受け入れたのだった。彼女自身、実は想像以上に疲れていたから。だから、多希に言われるまでもなく、今日一日は学校を休もうと思っていた。
桃佳の素直な返事に満足したように、多希は彼女の頭にポンと大きな掌を載せ、もう一度「行ってきます」と告げるとドアを閉めた。


いつもよりもずっと早く出勤した多希は、いつもの時間とは違ってあまり他の職員に会うことなく病院についた。それでも出会った職員たちは漏れなく、驚いたような視線を多希に向けたのだった。なぜなら、いつものようにだて眼鏡をかけてもいなければ、前髪で顔を隠すこともしていなかったから。
何かを考えてそうしたわけではない。ただ、自分を演じることなど、多希の頭の中からはもうすっかり消え去ってしまっていた。
自分を見て驚いたような視線を送られることにも、多希は一切無頓着だ。……そして、自分に送られる視線の中に好奇心を露わにしたものがいくつかあることにも気が付いていたものの、眉を少し顰めるだけでさして気にもしない。
好奇に満ちた視線が何を意味しているのかは、うすうす勘付いてはいた。
昨日のことに違いないと。
あんなことをしでかしたのだ。人の口に戸は立てられない。好奇心から、以前に多希が病院に桃佳を連れてきた時に広がった噂と混じり合って、あることないこと今回のことが広がるだろうことは覚悟していた。それほどまでのことをしでかしたのは、もう言い訳のしようもない。

「はあ」
それでもため息が出ることは否めない。周囲に多大な迷惑をかけてしまったのは事実だ。それでもやはり後悔さえできない自分のことを、もう嘲笑うしかない。
他人の視線をすり抜けながら多希は更衣室で着替えると、技師長の元へと急いだ。大久保技師長が、いつも誰よりも早く出勤していることは知っている。だからこそ、すぐに駆けつけて昨日のことをもう一度謝罪しようと思っていた。

「おはようございます」

技師室の一角にある、技師長室……とはいっても衝立(ついたて)に区切られているだけにすぎないが、そこに声をかける。案の定大久保はもう既にそこにいて、今日の予定のチェックなどをしている。こうして技師長という立場になっても誰よりも仕事に対して真摯な態度を、多希は心底尊敬していた。
「ああ、柴山か……早いな」

大久保は驚いた表情をさっと隠して多希に向き合った。
なにしろ、目の前にいる多希の姿に驚いたのだ。普段はどちらかというと綺麗な顔立ちはしているものの、野暮ったいイメージが強かった多希。それが今目の前にいる彼には『野暮ったい』が何ひとつない。たったそれだけのことなのに、人の見かけはこれほどまでに変わるのかと正直唖然としたほどだ。
勿論大久保は女子職員の間で、密かに多希は人気があることは知っていた。けれどそれがどうしてなのかいまいち理解できていなかったが、こうして『野暮』の二文字が消えた多希を目の前にして、女子職員たちの本質を見抜く目には脱帽する。
その綺麗な顔立ちがすまなそうに歪んで、栗色の髪が頭を下げたのと同時にさらりと流れる。
「昨日は、本当にすいませんでした」
深々と頭を下げる多希を見つめて、大久保は『しょうがない』と言ったふうに大きなため息をつく。大久保にとって多希は、自分が技師長になって初めて入ってきた職員でもあり、直接仕事も教えた思い入れのある職員だ。一生懸命で、これまで浮いた話のひとつもない多希を、大久保はからかったりもしたものだった。『お前、男色か?』などと、一歩間違えばセクハラにもなりかねない発言なんかで。
それが、最近の多希ときたら、おかしな噂に事欠かない。つい先日だって、少女を救急外来に連れてきたと噂されていた。その子は女子高生で妊娠しているだとか、堕胎手術後だとか、まあ、散々な噂だった。勿論大久保はそんな噂を信じているわけではなかったものの、あんな噂の後に今回のようなことがあったら、それはやはり問題視しなければならないだろう。
「過ぎたことはもう仕方ない。ただ、この信頼を回復するには今まで以上にきちんと仕事をする必要があるぞ。分かってるな」
「はい」
「次に同じことをしたら、仕事は続けられないものと覚えておけ。二度も同じことをするのは、俺は許さないからな」
「……分かっています」
神妙に大久保の言葉を受け止めている多希を、彼は肩を竦めて見つめる。
「なあ、柴山。お前、何があったんだ? この前だって変な噂されてただろう?」
ぎしっと椅子を鳴らして、大久保が多希を見上げる。座った状態の大久保からは、頭を下げた多希の顔は下から覗く格好になりちらりと見える。いつもと違う秀麗な顔が、歪むのが分かった。
「詳しいことは話せないか?」
「はい、すいません」
俯いたままで多希は答える。多希自身、今回のことでは分からないことの方が多いのだ。
そんな多希の様子に、大久保はもう一度ため息をついて、今度は違う質問を投げかけてきた。
「……柴山。昨日仕事を抜け出したのは、女のためなのか?」
多希はその質問には沈黙した。勿論それが自分の質問に対する多希の答えだと、大久保にも分かる。
「そうか……」
大久保は顎に手を置き、難しい顔をした。恋愛禁止などと、そんなバカげたことを言うつもりは彼にはない。そういった感情が仕事に対してプラスに作用することも良く知っていたから。けれど、今の多希にとって、果たして恋愛は仕事にプラスに働くのだろうか。勿論、仕事にプラスになればいいというものでもないのだろうが……そのことも大久保は考慮している。
「なあ柴山、その女性(ひと)とは結婚するのか?」
突然大久保の口から出た結婚という言葉に、多希は思わず真っ赤になった。
……まるで少女のような反応だと、さすがにこれには大久保も苦笑するしかない。
「い、いえ。すぐにということは……まだそんな話もしていませんが、……僕としてはそうしたいと思っています」
耳まで真っ赤に染め上げながらも、はっきりと言い切った多希に、なぜか大久保は嫌な予感を覚える。それが何なのか、大久保は掴みかねて眉をひそめた。
「そんなに大事なのか? 仕事をほっぽり出すほど」
余計な御世話と知りつつ、つい口を衝いて出てしまった言葉。まさかバカ正直にも返事が返ってくるなんて思ってもみなかったのに、目の前に立っている男(たき)は、やはり真っ赤になったままではっきりと言い切ったのだ。
「今の僕にとっては、なによりも」
聞いていて恥ずかしくなるような台詞にも関わらず、綺麗な男が言うとまるでテレビドラマでも見ているようだと、大久保は口をあんぐりと開けたままでそんなことを考えていた。それからはっとして我に返る。さっきの『嫌な予感』がなんなのか、分かったような気がした。

そう、多分それは多希の思いが強すぎるということ。
強すぎて、自分も相手巻き込んで身動きが取れなくなってしまうんじゃないかという危惧感。
何もかもを捨てても選びたいという思いは純粋だ。けれど、一歩間違えば、それはきっとただ依存しあうだけの関係にもなりかねない。相手を思い、自分をなくしてしまう事にもなりかねない。子供の初恋ならば、きっとそれでも構わないのだろう。けれど多希はもう恋だけに溺れていていい年齢ではないのだ。
このままではまずいことになるかもしれない。そんな危惧感が大久保の中に生まれる。
そして、誰に話そうか迷っていた話を、多希にしてみようと決めたのだ。

「なあ、柴山。お前、地方の病院に移る気はないか?」
「は?」

大久保の突然の提案に、多希は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。何を言われたのか、あまりにも突然でうまく理解ができない。
「あの……?」
「だから、地方の病院に移る気はないかと聞いているんだ。……実はな、系列病院のひとつに放射線技師の欠員が出たんだ。それでうちの病院からひとり回してほしいと言われている」
「ええ……はあ?」
やはり今いち理解しかねている様子の多希を見て、大久保は笑った。それに釣られて多希も少しだけ笑う。本当は笑っている場合じゃないことも忘れて。
「つまりは転勤だよ」
「て、転勤!!」
系列病院内で人員の入れ替えがあることは知っていたものの、放射線科はそれほど多くはない。だから自分が転勤する可能性など、多希は今の今まで考えたこともなかった。
「……良く考えてみてもらいたい。いい機会だと思うぞ。こことはまた違った経験ができるはずだ」
真剣に自分を見据える大久保に、多希は少しだけ言いずらそうに口を開く。
「技師長……それは業務命令でしょうか?」
「いや、違う。お前に断られたら他の奴に声をかけてみるさ。あくまでも自分で決めてほしいんだ、俺は。それにな」
そこで大久保は一旦言葉を区切り、そして真剣に見据える瞳に更に力を込めた。

「お前はもっと大人になるべきだと思うよ。今がその時だと思うんだ。……じゃ、ないと、女なんて幸せにもできない。
……ま、昨日のことはもういい。信頼を取り戻せるように努力するしかないな」

力強い瞳をふっと細めて、大久保は多希の背中を大きな掌で叩いた。思わずその衝撃に多希はよろける。
よろけながらも大久保の言葉の真意を探っていた。

今の自分では、桃佳を幸せにはできない……そう言いたいのだろうか?

そう思って頭を振る。
そんなことあるはずがないと。例えそうだとしても、桃佳から離れることなど、今の多希には不可能極まりない。全てを捨ててもいいとさえ思っているのに。

だったら一緒に連れて行けばいいのか。

その答えはあまりにもすんなりと多希の心に染み込んでいく。
離れられないなら、離れなければいいんだと。



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