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りんどう庵

ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


138.それでも

2011.01.27  *Edit 

「あの話、本当なのか?」

久々に拓巳が飲みに行こうと誘ってきたので、当然あの転勤話の件だろうと多希には簡単に予想がついた。でなければ、あれほど『モモとの時間を邪魔しないように』と念押ししていたのに、わざわざ仕事終わりまで多希を待ちかまえたりしないだろう。
まだ正式な発表もされていないというのに、思った以上に事務方の情報網は早いようだ。

「なあ、もうモモちゃんには話したのか?」

拓巳の問いかけに、多希は冷えたビールに口を付けながらぼんやりと昨日のやり取りを思い出していた。




駿が去った後、訪ねて行った桃佳の部屋では、彼女がひとりぐしゃぐしゃの泣き顔のままで座り込んでいた。
酷い泣き顔で、瞼は腫れ、目は真っ赤、鼻の頭も頬も真っ赤になっていた。それ以上酷くなりようもなさそうな顔は、多希の顔を見るなり更に歪んだ。
「……大丈夫?」
「う……っ、うぅっ」
小さな体を抱きこんで、背中を労わるように撫でる。声を押し殺すように掴んだ多希のシャツに顔をうずめ、桃佳は何度も頷いた。
多希のシャツをきつく握ったままで肩を震わせていた桃佳は、彼が背中をさすっているうちに徐々に落ち着きを取り戻したようだった。早かった呼吸も、しゃくり上げるような肩の動きも緩やかになっていく。
しばらくそうやって落ち着いていく体を抱きしめていると、突然桃佳が勢いよく顔を上げた。
まださっきと同じで目も、鼻の頭も頬も真っ赤で、すっかり腫れた瞼のせいで、瞳はいつも以上にとろんとしている。そんなすっきりしていない表情のはずなのに、微笑んだ桃佳の顔は妙に清々しいものだった。

「ごめんなさい、多希さん。シャツ、濡れちゃいましたね」

恥ずかしそうに笑って、ごしごしと手の甲で目を擦って多希から体を離す。
しっかりと密着していた体が離れると、なんだか自分の中心にぽっかりと穴が空いたように寒くて、多希は思わず眉を寄せていた。
こんな一瞬でも離れることに苦しさがこみ上げるのに、これがもしも実際の距離を伴って離れ離れになってしまったら……? 考えるだけでも背筋に冷たいものが落ちるような気持ちになる。
そんな多希の表情には気がつかないかのように、桃佳は慌ただしく動き始めた。
水道の水を勢いよく出して、ざばざばと顔を洗ったかと思うと、顔の横に垂れた髪の毛をきゅっとしばって、テキストが出したままのテーブルに向かう。そして、駿が来る前のように分厚いテキストを捲りはじめたのだ。

「モモ? 大丈夫なのか……? その、今日は休んだらいいだろう?」

駿と会ったことで精神的に疲れているだろうし、あれだけ泣いた後だ。肉体的にもきっと疲れているに違いないと多希は思ったものの、桃佳はテキストに目を落としたままで小さく首を振る。
そして、目を上げずに呟くように言った。

「……駿ちゃん、建築の勉強をするそうです」
「え?」
「駿ちゃん、お父さんの仕事を手伝うって決めたそうです。自分は建築の勉強を始めるんだって…… だから私も頑張らなくちゃって思うんです。
じゃ、ないと……駿ちゃんに恥ずかしいですから」

そう言って微笑む桃佳の顔は、もしかしたら多希が出会ってから一番穏やかなものだったかもしれない。
心の中の重たいものを全て、駿が取り去ってくれたのだろうということがその表情を見ればよく分かった。そんな駿に感謝する気持ちと共に、多希の胸に小さな嫉妬の火が灯る。
全てを許して桃佳を楽にしてくれた弟に比べて、自分のそんなどうしようもない感情に苛立ち、多希はぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。

「どうしたんですか? 今日の多希さん、やっぱりどこか変です」

腫れぼったい瞼から見上げる桃佳の視線と出会い、多希は無理に笑顔を作った。

「そんなことないよ。……何でもない」
「本当ですか?」
「本当だよ」
そう言っても、どこか心配そうな視線を向けられ、多希はさっきと同じように桃佳の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「なんでもないよ」
「分かりました」
ぐしゃぐしゃに乱された髪の間から、桃佳が笑顔を見せる。
いつも見ていたはずの笑顔。けれど、それまでとは何かが決定的に違う笑顔。



――――兄貴にできることを清水にしてやってくれ。



頭の片隅で駿の声が響いた。
その声に心の中でそっと、「分かっているよ」と答える。自分が桃佳のためにしてやれること。それは……




「多希? どうしたんだよ、ぼんやりして」
急にぼんやりとした多希に、拓巳は俯いた顔を覗き込むようにして声をかけた。その声に驚いたかのように多希が顔を上げて拓巳を見る。
「えっと……なんの話だっけ?」
「なんの話って」
転勤の話はそれなりに重要なはずなのに、他人事のようにぼんやりとしている多希に、拓巳は正直呆れてしまう。
「……転勤の話だろ。モモちゃんのこと、どうするのかって」
「ああ、モモね……」

拓巳としては、多希ならば当然桃佳のことも連れて行くのだろうと思っていた。一緒に連れて行くのであれば、転勤先の病院が用意してくれているワンルームマンションでは狭いだろうから、部屋探しも手伝う必要があるかもしれない。
そう思って、桃佳の話題を出したのだ。

「俺、転勤の話は断るよ」
「モモちゃんも一緒だったら、広い部屋探さないとならないだろ?」
「行くつもりはないから」
とても信じられない発言に、拓巳はたっぷり数秒をかけてから初めて、多希が口にした言葉の意味が脳に到達する。
「……は、はあ? おま、自分が何言ってんのか……」
「勿論、わかってるさ」
ため息混じりにさらりと答えられて、拓巳は思わずかっとして声を荒げる。
「わ、わかってないだろ!! 転勤の話を断るってことは、仕事を続けられないってことだぞ!!」

一職員の多希が、雇い主の正式な辞令を個人的な理由で断れるはずもない。そう、仕事を辞めでもしない限りは。

「わかってるよ」
声を荒げる拓巳とは正反対に、多希は取り乱す様子もない。それがかえって拓巳の気持ちを昂ぶらせた。
「わかってないよ!! 何でだよ、何でそこまでして辞令を断る必要があるんだよ!! モモちゃんなら一緒に連れて行けばいいだろう?」
その言葉に、多希の表情が曇る。
「それともモモちゃんが、お前と一緒に行くのを嫌がってんのか?」
「モモにはまだ何も話してないよ」
「どうして」

色々とあった二人だからこそ、誰も知る人のいない環境に移ることを喜んでいるかもしれないと、拓巳は思っていた。新たな場所で、新たしいスタートを切れるのだから。
けれどそれはどうやら見当違いだったことを知る。

「モモは…… 今、大事な時期なんだよ。来年の国家試験に向けて、あいつ、すごく頑張ってるんだ。それなのに、ついて来てくれなんて言える訳ない」
「そ、それはそうかもしれないけど、来年には卒業するんだろ? じゃあ、その後に来てもらうようにすればいいじゃないか。何もお前が仕事を辞める必要なんてないだろ!?」

どうしても拓巳には多希の気持ちが理解できない。
桃佳の卒業は、半年と少し待てばいいだけなのだから。たったそれだけの時間を待てずに、仕事さえも捨てると、多希はそう言っているのだ。
理解できるはずもない。
黙ったままの多希に、酔いも手伝って、次々に責めるような言葉が拓巳の口を衝いて出た。

「お前、分かってんのかよ!? 大久保技師長だって、きっと最近のお前を見ているからこそ、今回の転勤話をお前に決めたんだぞ? 最近妙な噂が多いお前に、このまま潰れてほしくないって……新しい土地でしっかりとやり直してほしいって、きっとそう思ってるのに違いないってのに……!!」

言葉を紡ぐたび、拓巳の心には悔しい思いがどんどん広がってくる。
どこの部署とも交流のある拓巳は、大久保とも何度か飲みに行ったこともある。その度に拓巳は壁を作る多希を心配している大久保の話を聞いている。彼がどれだけ親身になって、温かい目で多希を見守ってくれていたのかも知っているからこそ、そんな大久保を裏切るようなことをあっさりと言う多希に対しての苛立ちが募るのだった。

「なんも分かってないんだろ!? 自分のことばっかりで、心配してくれてる人間のこと、考えたことあんのかよ!!」

どん! と、拓巳が持っていたジョッキとテーブルに叩きつける。その衝撃で、中身が零れてテーブルに泡が飛び散った。
テーブルの上で弾ける泡を苦しげに見つめ、多希は大きくため息をつくと、拓巳を真っ直ぐに見る。

「……分かってるさ。大久保技師長がどれだけ俺のこと、心配してくれてるかって。勿論、お前も心配してくれてるってことは知ってる。
こんな年にもなって、ただ恋人と離れたくないからって理由だけで仕事を辞めるだなんて、そんなこと馬鹿げてるって…… あまりにも短絡的であまりにも幼稚で、正直自分でも情けなくなる。
それでも……それでも、どんなに考えても、モモと離れたくないんだ。嫌なんだ。モモを失くすくらいなら、他のものは全部捨ててもいいって、そう思ってしまうんだ」

自嘲的に笑いながら、栗色の髪を掻き上げ、ガラス玉のような瞳を伏せる。

「多希……」

友人の苦しげな告白に、拓巳は眉を顰めた。
ずっと拓巳の中で燻り続けてきた『嫌な予感』。それが彼の中で急にはっきりとした形を結ぶ。
あまりにも真っ直ぐに桃佳を想う多希。そんな彼を微笑ましく思いながらも、ずっと何か怖かった。その答えがこれなのだと、確信した。

「……ごめん。帰るわ」

俯いたまま、多希は財布から五千円札を取り出してテーブルに置くとその場を立ち去って行ってしまった。引き止める言葉さえも見つからず、拓巳は出ていくその背中を見つめる。

『嫌な予感』

そう。
こんなふうに大事な誰かのために、多希自身がそれまで大事にしてきたものも、自分さえも失くしてしまうんじゃないかという不安。
桃佳のために、仕事も信用も全て捨ててしまおうとするように……



「くそっ、あいつはバカだ」

中身の減ってしまったビールを一気にあおり、乱暴にジョッキをテーブルに置いて、拓巳はぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き毟る。

このままでいいはずがない。
いいはずがないんだ!!

拓巳はテーブルの片隅に置いてあった携帯電話を掴むと、通話ボタンを押した。




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