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ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


73.遠い横顔

2010.03.25  *Edit 

「多希!」

声をかけられて、自動ドアの前で彼は立ち止った。自動ドアが開き、外の熱気が流れ込んできて少しだけ眉をひそめる。
「多希、お前も今帰り?」
にっこりといつもの人懐っこい笑顔で歩み寄ってくるのは、暑さを微塵も感じさせない拓巳だ。もともとサッカーをやっているスポーツマンの彼には、妙に夏が似合うと多希はいつも思っていた。
「ああ」
「そっか」
二人は並んで歩き始める。病院から出ると夕方だというのに湿った空気が彼らを包んだ。
「あっちぃー」
そう言って拓巳はポロシャツの襟元を引っ張っている。
「今日はこの夏一番の暑さだったらしいからな」
恨めしげに空を見上げる多希に「そうなんだ」と拓巳は苦笑いをした。多希が暑さに弱いことは小さいころからよく知っていた。今日の暑さは堪えたに違いないと少しだけ気の毒になる。
ふたりはまだ暑い日差しを避けるように木陰を選んで歩いた。
「そうだ多希、日曜日は仕事なんだって?」
「ああ、どうしてそれを……そうか、渡辺さんか」
多希は昼休みに自分を待ち受けていた美緒のことを思い出す。日曜日に映画に行かないかという話だったと思うが……よくは覚えていなかった。
「そうそう。お前を誘ったけど仕事で駄目だから、一緒に行かないかってさっき俺のところに来たよ。来週にでもお前と行ったらどうだって言ったんだけど、日曜日までらしいんだ、そのチケット。美緒ちゃんも日曜日しかあいてないらしくてね」
「ふうん、で、拓巳は行くことにしたのか?」
「え? うん、まあ……」
日曜日までのチケットを持って、「一緒に行きましょう」と美緒の大きな瞳に見上げられ、拓巳が断れるはずもなかった。
少しだけ困ったように笑う拓巳を、多希は興味深そうに見つめる。
「お前さ、いっそのこと渡辺さんと付き合ったらいいんじゃないのか? 俺よりもお前のほうが合ってると思うけど」
「そんなことないよ」

簡単に言うなと拓巳は思う。それが叶うならばどれだけいいことだろうと。美緒が多希のことを好きだと思っていることは、多分拓巳が一番よく知っていることなのだから。そして自分は、美緒にとっては相談しやすい多希の友達でしかないことも……
そう思うとついため息が漏れそうになって、拓巳はあわてて話題を変える。
「そういえば多希、モモちゃんは元気になったのか?」
「え?」
一瞬多希の顔が微妙に揺れる。しかしその揺らぎはほんの一瞬で、次の瞬間には完璧なまでの穏やかな笑顔がそこにはあった。付き合いの長い拓巳が、そのことに気がつかないはずもない。
「ああ、元気になったよ」
完璧なまでの笑顔。その笑顔に拓巳は眉をひそめる。
「……なあ、お前、モモちゃんとうまくいってるのか?」
何かを確信してその言葉を口にしたわけではない。しかし、多希との長い付き合いの中で、桃佳との間に何かがあったと直感的に感じていたのだ。それに最近様子のおかしかった多希のこともずっと気になっていた。
「多希……最近時々おかしい時があるから……やっぱりモモちゃんと」
「拓巳」
静かな声。それに反してその声には怒りにも似た感情が含まれているような気がして、拓巳は口を噤む。
「……何もないよ。心配ない」
そう言って拓巳を見る目は実際彼のことなど見てはいない。明らかにおかしい多希の様子。そんな彼の様子に戸惑いながらも、放っておけない拓巳は口を開く。
「でも……」
「何もないから、本当に心配しないでくれ」
一言一言を区切るように、まるで念を押すようにそう言って、多希はにこりと微笑んだ。現実味のかけらもない、人を寄せ付けるのを拒むような穏やかな笑顔で。




多希は足を止めてアパートを見つめた。視線の先には、桃佳の部屋の窓。
つい数日前まであった、自分でも説明のしようもない、こんがらがった感情はもう湧き上がっては来なかった。それだけではなく、わくわくするようなほわりとした感情もない。自分を困惑させ続けた感情がなくなったことに対する妙な解放感と、何かがぽっかりと抜け落ちてしまったような妙な空虚感。そんな感情だけを自覚することができた。
昨日、桃佳を抱きしめて口にした言葉には嘘はなかった。あの時、本当にもうゲームのことなどどうでもいいと思った。桃佳が自分だけを見てくれるのならば、それでいいと。
……けれど桃佳の口から出たのは、自分を拒絶する言葉。
突き飛ばされ、拒絶の言葉を投げかけられ、多希は自分自身を嘲笑った。

俺は何を勘違いしているんだ。
桃佳にとって、この関係はゲームでしかないんだ。
これは駿を苦しめるために始めたゲームでしかない。
すべてが嘘。
すべてが……
望むこと自体が間違っている……

多希は美しい顔に、歪んだ笑顔を浮かべる。
「……でも、逃がさないよ。モモ」
暗く翳った瞳を伏せて多希が呟いた。
「ゲームはまだ終わっていないからね……」



右手に包丁。左手ではキャベツを押さえたまま、桃佳はぼんやりと手元を見つめた。
昨日の今日で多希がやって来るかどうかわからないまま、それでもいつものように二人分の食事を用意する。それでもいつものように準備は進まず、こうして何度も手が止まってはぼんやりとしてしてしまう。
多希が出て行ってしまってから何度も、彼の言葉を思い出した。

____俺のものになればいいだろ……!

思い出すと、胸の奥のほうが潰されるように痛んだ。
真剣な声だった。それがわかっていながら多希を拒絶するしかできなかった桃佳。
しかし、拒絶する以外に何ができたというのだろうか。彼女には到底、受け入れることなど考えることもできない。
受け入れることなど……本当に? 本当に考えることもできない?
その疑問は何度も桃佳のことを包んで、見てはいけないと言われているものを目の前に突き出されているような、妙な恐怖心を抱かせるのだった。
どうしようもない考えを頭から追い出すように、桃佳は大きく頭を振る。
「考えたって……どうしようもないじゃない」
そう言って、目の前のキャベツに包丁を落とす。ざくりと心地のいい音と感触に、桃佳はキャベツの千切りに没頭することに決めた。何かに没頭していれば、他のことを考えずに済むから。

キャベツを刻むことに没頭していた桃佳は、そっと背後から延びる腕に気がつかなかった。その両腕は、いきなり桃佳の体を背中から抱きしめる。
「!!!!」
あまりに突然のことで声も出ず、桃佳の握っていた包丁が彼女の左の指先を掠めた。驚きと痛みで目の前が白くなる。
「……ただいま、モモ」
自分の激しい鼓動に交じって、背後から優しい声が響き、やっと状況を判断した桃佳は少しだけ冷静さを取り戻す。
「た、多希……さん」
頭をよじって振り返ると、多希が彼女の肩に顎を乗せるようにしてにこりと微笑んでいる。
「びっくりした?」
「……あ、当り前じゃないですか! 急にこんなことされたら誰だって驚きます!」
そう言いながらも桃佳は、こうして多希が来てくれたことを素直に嬉しいと思っていた。……もう、ここには来てくれないのではないかと思っていたから。
……本当はその方がいいんじゃないか。
そんな自分の心の声さえ聞こえなくなるくらいに。
「モモ、指を怪我したんじゃないか?」
多希が桃佳を抱きしめたまま、左手を伸ばして彼女の手を取る。そしてほんの少しだけ血の滲んだ指先を見詰めた。
「ああ、やっぱり。怪我してる」
そう言うと桃佳の左手を引き寄せ、血の滲む指先を口に含みその血を吸い取る。
茫然とその様子を見ていた桃佳は、はっとして手を引っ込めた。熱いくらいに顔が火照り、やっと静まりかかった心臓は、さっきよりも激しく鼓動し始める。
「な、何するんですか……っ」
声が震えているのが自分でも分かった。
「何って……怪我してるから、舐めただけだよ」
「こんなこと、しないでください……」
まともに多希の顔を見ることができず、俯いたままの桃佳の顎を、多希はくいっと持ち上げて自分の方を向かせる。
「……するよ。何度でも、嫌だって言っても」
視線の先の多希の顔は、ひどく無表情で、美術室にあった無機質な石膏像を彷彿とさせた。
「多希……さん?」
冷たく見下ろすように彼女を見つめていた瞳は、次の瞬間ふっと細められ、口元はきれいな弧を描く。
「冗談だよ」
穏やかな笑顔を作って、多希は桃佳から離れ、何事もなかったかのようにテレビの前に座った。
「ああ、傷、早く絆創膏を貼った方がいい」
「……はい」
その顔は確かにいつもと変わらない。
けれど、何かが違うと桃佳は思った。
何が違うのかははっきりとはわからない。けれど、何かが……


絆創膏を指に巻きつけながら、テレビを見ている多希の横顔を伺う。
その横顔が、桃佳にはとてつもなく遠くに思えて仕方がなかった。



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