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ぴ~ち・でぃず~ヒミツノカンケイ~ *R18


84.薬指のリング

2010.04.19  *Edit 

思った以上に仕事の依頼がなく、多希は技師室でひとり大きなあくびをした。
午前中はそれでもいつもの休日のように依頼があって忙しくしていたものの、午後になるとぱったりと静かになったのだった。
仕事がないのならば自宅に帰ってもいいのだけれど、「荒らし屋」と言われるほどいつも自分のときには急患が多く来ることを知っている多希は、こうしてひとり技師室に残っている。
しかし、技師室の電話が鳴ることはなく、けれど帰る気にもならず、ただぼんやりと空を見つめるだけの時間が過ぎ去っていく。

「暇だな」
多希はポツリと呟いた。もちろん答える人間はいない。
大きくため息をつき、いつものように忙しい方がかえっていいのに……と思う。変に時間が余ってしまうと、考えてもどうしようもないことばかり考えてしまうから。忙しく動いていれば、その間は仕事のことだけを考えていられるのに。
そうは思っても、まるで多希に「考えろ」と言わんばかりに、仕事の依頼はなく時間だけがゆっくりと過ぎていく。
煙草を吸いたいと思ったものの、このご時世で院内は完全に禁煙になってしまった。車に戻って吸ってくることもできるが、そこまでするほどでもない。
手持無沙汰な時間。椅子に座ったままで白衣のポケットに手を突っ込み、天井を見上げる。自然に大きなため息が漏れた。

桃佳はどうしているのだろうか?

ふと桃佳の顔が思い浮かんだ。彼女の顔が思い浮かんだのをきっかけに、次々と思いは深い所に向かって進みだす。
昨日、意外にもキスを受け入れた桃佳。きっと拒絶されると思っていた。しかしそっとその体に触れても、目を細めただけで拒むことさえしなかった。じっと多希を見つめ、その存在を確かめ続けながら。
どうして桃佳が拒絶しなかったのか、多希にはわからない。
どうしてあんなにもじっと自分の目を見詰めたままだったのかも。どんな気持ちで自分からのキスを受け入れたのかも……
目を閉じると体中に、抱きしめた時の桃佳の柔らかさが蘇ってくる。
今更ながら、あの時少しも抵抗しなかった桃佳を抱いてしまえばよかったと思った。なんとなくあの時の桃佳ならば、最後まで抵抗しなかったのではないかとさえ思えてならない。それほどまでにあの時の桃佳は無抵抗だったから。
けれど多希の方が桃佳を抱くことを躊躇してしまったのだ。
あの瞬間、押し倒してしまえば簡単に桃佳を手に入れることができると思う半面で、そんなことをしてしまったら永遠に彼女を失うことになりそうで、多希には何もできなかったのだった。
自分の中の欲望を抑えつけるのは、ひどく苦しいことだった。今までそんな経験はしたことがないから余計に。
手を出さなくてよかったのだと思う自分と、この手で穢してしまえばよかったのだと思う自分がいる。せめぎ合うふたつの思いに、多希は頭を抱える。

「くそ……っ」
苦しげに絞り出すようにそう言うと、ぐちゃぐちゃと髪の毛を掻き回す。栗色の髪の毛が、さらりとその顔を滑った。
ふと視線を動かすと、壁にかかっている鏡に伊達眼鏡をし、髪の毛で顔を隠し、仕事用の仮面を被った自分が写っていて多希は思わず眉をしかめた。
……仮面。
今までそんなことを考えたこともなかった。
その時々で自分を使い分けるのは当たり前のことだと思って、そのことに疑問さえ抱いたことはない。けれど今はひどく違和感を感じる。
仮面を被る自分。
自分を偽る自分。
偽物の自分……

本当の自分はどんなものだろう?
多希にははっきりとは分からない。もしかしたら自分は、他の人間よりも自分のことを分かっていないのかもしれない。と、そう多希は思った。
小さなころから自分を演じることで、ずっと自分のことを守ってきたから……そして周りの人間も、それが彼だと疑問にさえ思うことはなかったのだから。
けれどそんな自分に違和感を感じるようになってしまった。
それはきっと桃佳と一緒に過ごすようになったからに他ならない。彼女の前では、隠してきた本当の自分がぽろぽろと零れだしてしまう。仮面を被ることも忘れてしまう。
その心地よさを、多希は知ってしまった。

「……モモ……」
呟いて大きなため息をつく。
もっと早く、駿よりも早く、違った形で彼女に会うことができていたなら、何かが変わったのだろうか……
考えたところで結局は答えのないことばかり、多希は考えていた。
けれどひとつだけ分かったこともある。
これが誰かを『想う』ということなのかもしれないということ……
それを自覚することは、多希にとってひどく恐ろしい。それは今まで出会ったことのない感情だから。
それでも、恐ろしくても、その思いは無視できないほどに膨らんでしまっていた。
初めて経験する苦しさに、多希はただじっと耐えることしかできなかった。

頭痛さえ感じ始めたその時、緊急の依頼を告げる電話の音に、多希はひどくほっとして受話器を取った。仕事をしていれば、考えなくても済むのだと。









「清水、何食べる?」
映画も観終わって、駿と桃佳はファミリーレストランで夕食をとることにした。休日の夕方は人が多い。少しだけ大きな声を出さないと、周りのざわつきに声は消されてしまいそうだ。
「え?」
聞こえないといった風に首を傾げた桃佳に、駿はメニューを差し出した。「何食べる?」
桃佳は差し出されたメニューを受け取り、それに目を落した。掲載された写真は、どれもおいしそうに見える。けれど、少しも食欲が湧かない。考えてみれば昼食も殆ど食べていないというのに、一向に空腹感を感じなかった。
……たぶん、あまりにも色々なことが起こりすぎて、空腹感を感じる余裕さえないのかもしれない。
ふと数時間前に拓巳から向けられた視線を思い出して、きゅっと目を閉じる。
いくら人のいい拓巳でも、どう考えてもあの状況をいい様には解釈はしてくれないだろう。当たり前だ。多希の恋人だと思っていた桃佳が、弟の駿からも恋人だと紹介されたのだから。
言い訳のしようもないし、言い訳するべきではないだろう。そう思うと、一層胃の辺りが鉛でも入っているかのように重くなるのだった。
「えっと……」それでも何とか決めなくては。食事に来て「飲み物だけ」では、駿に変に心配をかけてしまうかもしれないから。
「じゃあ、私は和風キノコパスタで」
とりあえず彼女は、あっさりとしていそうなそれを指さす。その並びにカルボナーラを見つけ、あの日、多希が作ってくれたカルボナーラを思い出した。
慣れない手つきで必死に作っている背中が思い出されて、桃佳の唇は自然に優しく弧を描いていた。
「どうしたの?」
駿に声をかけられ、桃佳ははっとして彼の方を見る。何を聞かれているのか、よくわからなかったから。
「なんだか、楽しそうに笑ってたみたいだけど……」
言われて初めて自分が微笑んでいたことに彼女自身も気がついた。そして慌てたように口元に指を当てる。
「えと、さっきの映画のこと、思い出してて……」
「ああ、映画、面白かったよね。思った以上にリアルでびっくりしたよな!!」
嬉しそうに身を乗り出してくる駿に相槌を打ちながら、桃佳はもう今日何度になるかわからない胸の痛みを感じていた。
抉られるような胸の痛みは、病気になってしまったのかとさえ思うほどだ。……そして、いっそのこと本当に病気になってしまえばいいんだという、どこか暗い気持も桃佳に抱かせる。
こんな自分、いっそ消えて無くなってしまえばいいんだと。
多希に惹かれる自分を閉じ込めるために、きちんと洋服も洗って箪笥の引き出しの奥の方にしまい込んだというのに……それなのに、いとも簡単にこうして駿の前でも多希のことを思い出してしまう自分の意志の弱さに、そんな自分に桃佳は自己嫌悪を感じずにいられなかった。

駿が注文を取りに来た店員に、オーダーを伝えている。
店員が去っていくと、駿は妙に神妙な面持ちで桃佳のことを正面から見据えた。
ひどく自己嫌悪に陥っていた桃佳は、何か悪いことを言われるんじゃないかと、身構えるように体を固くした。けれど、駿の口から出た言葉は、決して桃佳を傷つけるようなものではなかった。

「これ……」

少しだけ照れたような表情で、駿は綺麗なリボンをかけられた小さな箱をテーブルの上に置いて、すっと桃佳の方に押しやった。
不思議そうに小首をかしげている桃佳に、駿は「開けてみて」と促す。
おずおずと小さな箱に手を伸ばし、桃佳はリボンをはずして包みを開ける。包みから出てきた小さな箱を開けると、そこにあったのはベルベット地のグレーのリングケース。
明らかに戸惑っている桃佳に、駿はもう一度「開けてみて」と今度はケースを開けるように促した。
そっと桃佳がリングケースを開けると、そこには小さなムーンストーンのついた可憐な指輪。
「……どうして? 今日って、何の日でもないと思うんだけど……」
「実はこれ、お詫びのつもりで買ったんだ。その、この前、本当に酷いことをしちゃったから……」
駿はそう言いながら、苦笑いを浮かべて頭を掻く。
そんな表情を見ていると、桃佳の方が泣けてきてしまいそうで、ぐっと眉間に力を込めた。
本当は駿に謝らなければならないのは、自分の方なのだから。駿の兄に惹かれたなど、やはり絶対に言うことはできない……そう強く思った。
リングケースを両手でそっと包み込んだまま、どこか苦しげな表情で駿の顔を見ている桃佳の手を、駿はそっと取る。そして、リングケースの中から指輪を取り出すと、桃佳の左の薬指に滑らせる。
その指輪は、そこがもともと決められた場所であるかのように、ぴったりと納まった。
「ぴったりだね。よかった」
左の薬指にはまるそれを、駿は照れくさそうに、けれど満足げに見つめた。
「もらってくれる……よね?」
桃佳は自分の左手を見た。はめられたばかりの指輪は優しく光っている。その輝きは、いつも優しく彼女を見つけている駿を思わせる。

左の薬指にはめられた指輪。
深い意味はないのかもしれない。けれど、駿だって、その本来の意味くらいは知っているはずだ。知っていて、桃佳の薬指にはめたに違いないのだ。
そして、そのリングを受け取るということは、そんな駿の気持ちをしっかりと受け止めるということに他ならないだろう。

「……うん。ありがとう。きれい、だね」

桃佳はリングを見つめて、微笑みながらそう答えた。



そう、これでいい。
リングの意味を心に刻みつけて、もう二度と揺れないようにしなければいけない。
もう二度と……



左指に感じる冷たい感触を感じるたびに、何度も何度も、桃佳は自分に言い聞かせ続けた。






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